
「眼科医にもね、斜視って治らないと思ってる人がいるのよ。それも相当数ね」
院長がそう言ったのは、診察が終わった後のちょっとホッとする時間でした。
いつものような笑顔ですが、その奥に少し苦いものが混じっているようでした。
CS眼科クリニックで働いていると、患者様から「他の病院で”治らない”と言われました」という言葉を聞くことが度々あります。
その言葉を持って来られる患者様は、ダメ元と覚悟はなさりながらも、それでも診察を受けに来て下さるわけです。そしてお話を伺うと、まだできることがある ケースがとても多いのです。
その熱意が、時には病気を治すのだなと思い、その現場に居られることが視能訓練士として働く私自身の誇りともなっています。
今日はそんな院長の思いを、私なりの言葉でお伝えしたいと思います。
「斜視」はひとつじゃない
まず大前提として「斜視」とひとくくりに言っても、その中身は本当に様々だということがあります。
子どもに多い「調節性内斜視」は、遠視のためピントを合わせようとする力が過度に働いて、目が内側に寄るタイプです。
適切な度数のメガネをかけると、視線が整います。「メガネで治った」と感じるご家族も多い、わかりやすい例です。
また「間欠性外斜視」は、疲れている時やぼんやりしている時に、片方の目が外側にずれてしまうタイプ。
子どもの頃から素因のあることが多く、成長とともに変化することもあります。経過観察でよい場合もある一方で、生活への影響が大きくなれば手術も選択肢になります。
大人になってから症状が出てくる斜視もあります。スマホ内斜視や感覚性外斜視と呼ばれる斜視が典型です。
前者は、至近距離での物の見過ぎから、その目の位置で固定してしまい、遠くを見た時に目が外へ向かず、二つに見えます(複視)。
また感覚性外斜視は、何らかの理由で視力が大きく低下した目が、使われなくなることで外側にずれていく現象です。
見た目の変化に悩む方が多く、年齢にかかわらず治療の対象になり得ます。 特に感覚性外斜視の手術については、諸外国では両眼視の獲得を目的としないという理由で保険適応がなされず、いわゆる美容整形と同列に扱われる一方、日本では保険適用になります。
メガネで整うもの、経過を見ながら判断するもの、手術によって改善が見込めるもの、「斜視」という言葉でくくられてもその先にある道は一つではないのです。

「治る」という言葉のズレ
院長がよく言うのは「治る」という言葉の捉え方に、患者さんと医師とでズレが大きいことです。
患者さんにとっての「治る」は、多くの場合「もう斜視について気にしなくていい状態になる」ことです。
一方 で医師が言う「治療」は、必ずしも「ゼロにする」ことだけを意味しません。
視線のずれを補正して、複視を軽くしたり、見た目の印象を変えたり、目の使い方を整えたりすること。それも立派な治療です。
このズレが整理されないまま伝わってしまうと、「治療しても完全には治らないなら、何もしなくていい」という結論に、患者さんが一人で飛んでしまうことがあります。本当はその間に、「症状が軽くなる」「見た目が変わる」「複視がなくなる」といった、十分に意味のある選択肢がいくつもあるはずなのに。
隣のブースから聞こえた声
院長は月に一度、大学病院で外来を担当しています。
ある日のこと、隣のブースから少し声高になった医師の言葉が、カーテン越しに聞こえてきました。 内容から察するに、患者さんは白内障の手術を受けた方のようでした。手術はうまくいった。視力は回復した。
でも、手術後からものが二重に見える複視に悩まされるようになってしまった。そして、カーテンの向こうから聞こえてきたのは、 担当医のこんな言葉でした。
「だからー、斜視は治らないの。何度も言うけど」
院長は、思わず手を止めたといいます。 「カーテンを開けたくて、ウズウズしながら聞いてたの。私が診るからって言いたくて」でも、他の医師の診察に割って入ることはできません。
院長は、隣の診察室で踏みとどまっていたといいます。「あの患者さん、白内障の手術後に複視が出たなら、斜視として診て対処できる可能性があるのよ。なのに『治らない』の一言で終わらせてしまったら……」 言葉が少し途切れました。
「眼科医が言うから、患者さんは、それを信じるわよね。 治療の機会を一生奪うことになっちゃう。」
ここで整理しておきたいと思います。
斜視の診療は、時間も手間もかかる専門性の高い分野です。十分に診てきていない、あるいはあまり詳しくない医師がいても、 それ自体は責められることではないかも知れない。ただ 院長が繰り返すのは、そこから先のことです。
「自分が分からない『治せない』ことと『治らない』ということは、まったく別の話なのよ。治せないなら、紹介してくれるだけでいいのに」
その患者さんにとって、あの日カーテンの向こうで告げられた「治らない」という言葉は、恐らく一生残るものになるでしょう。
院長が「ウズウズしながら」隣の部屋にいたというのは、笑い話のように語られましたが、私にはその場の院長の気持ちを考えると、何だか心臓がギュッとつかまれるようでした。
IV. 飲み会の夜
少し前、院長と社員数名で飲みに行ったときのことです。
ほとんどプライベートな話をご自分からはなさらない院長ですが、その日はたまたまご友人と食事をされた、その時の話題でした。
近況報告をし合う中で、あるご友人がふと、こう言ったそうです。
「そういえば、斜視って治るの?」
院長は、その瞬間、何とも言えない気持ちになったそうです。
「一応友達よ。なのに『斜視って治るの?』って、わざわざ聞いてくるの。それってつまり、その人の中にもう、『 斜視は治らない』っていう前提があるってことじゃない」
飲み会の席で、院長は少し熱を帯びた口調で、私たちに語り始めました。
「つまりこれ、患者さんだけの話じゃないの。社会全体に『斜視=治らないもの』っていうイメージが広がってるんじゃないかって思うわけよ」
考えてみれば、よほど自分や身近な人が当事者にならない限り、斜視について深く調べる機会はないかもしれません。
そんな中、どこかで聞いた「治らない」というイメージだけが、そのまま残ってしまう。
「だからきっと相当な数の人が、心中密かに悩んでると思うの。自分の家族のことかも知れない、自分自身のことかも知れない。『どうせ治らないんでしょ』って、最初から諦めて、受診すること自体をやめてしまっている人が」
院長の言葉は、いつもよりずっと熱を帯びていました。普段は常に冷静沈着に仕事を片付けていく。なのにその夜は、まるで私たちの向こうにいる誰かに向けて訴えかけるような口調でした。 私はその話を聞いて、すぐにこう言いました。
「先生、この話ブログに書いていいですか」
院長は少し驚いた顔をして、それから笑いました。
「いいけど……飲み会の話、そのまま書くの?」
「はい。書きたいです」 そうして、このコラムが生まれました。
V. ある有名人へのDM
院長の「社会通念を変えたい」という思いは、言葉だけにとどまりません。
少し前、院長はある有名人のSNSに、ダイレクトメッセージ を送ったといいます。誰もが知っている、世界的な活躍をしている日本人です。その方が斜視であろうことは多くの国民が認識していると思われるし、多くのメディアでも言われています。
院長がそのメッセージに書いたことはズバリ「治療させてほしい」ということ。 返事は来ず、既読にもなりませんでした。
でも、院長がそこまでした理由を聞いて、私は鳥肌が立ちました。
「あれだけ有名な方が、斜視のまま治療を受けないでいると世の中の人は益々、やっぱり斜視って治らないんだ、このままでいいんだってなってしまうのよ。私はそれが怖い」院長は続けました。
「別に私が執刀しなくていいの。有名な病院の、えらい先生が手術してくれて構わない。ただ、ちゃんと治して、その方がご自身で『斜視は治る』ってことを世の中に示してくれたら、どれだけ多くの人の常識が変わるか」
自分の手柄にしたいわけではない。自分のクリニックへ来てほしいわけでもない。ただ世の中の認識が変わってほしい、それだけなのだということがひしひしと伝わってきました。
私がCS眼科クリニックで働いていて、本当によかったと思った瞬間でした。

VI.「治癒基準」と患者さんの満足度
斜視の診療には、眼科医会によるガイドラインや、いわゆる 「治癒基準」と呼ばれるものが存在します。
世界的な基準を日本向けに訳したもので、視線のずれの角度や、両眼視機能 (両目で物を立体的に見る力)がどの程度獲得できたか、といった指標が中心です。
こうした基準があることは、医療として大切なことです。治療の効果を客観的に評価し、医師同士が共通の言葉で状態を語るための土台になります。 ただ、院長はこう言います。
「もちろん、基準は大事。でも、それだけで『治った』 『治っていない』を決めてしまうのは、ちょっと違うと思っているの」
例えば、検査の数値上は両眼視機能が基準まで到達していなかったとしても、見た目の印象が変わって、他人と話す時に目を合わせられるようになったり、人に見られるのが気にならなくなったり、長時間のデス クワークで感じていた疲れや頭痛が軽くなったりする。
そういう変化を患者さん自身が「楽になった」「変わってよ かった」と感じているなら、それもその方にとっての「治った」という実感の一つだと、院長は考えているそうです。
「治癒基準を、両眼視機能の獲得だけに限定してしまうと、 その基準に届かなかった人は全員『治っていない』ということになってしまう。でも、その方が診察室で『楽になりました』『見た目が気にならなくなりました』って言ってくれるなら、それは治療として意味があったということなんじゃないかな」
基準は、目指す方向を示す地図のようなものです。けれど、 その地図に書かれていない場所にも、患者さんにとっての 「ここに来てよかった」という場所は、確かにあるのだと思います。

もし、以前どこかで「斜視は治りません」と言われ、それをそのまま抱えてこられた方がいたら。 それが、本当にあなたの状態に合った診断だったのか、 一度確かめてみる価値はあると思います。
「治る」という言葉だけにとらわれず、「今より楽になる」 「今より見やすくなる」「気にならなくなる」という視点 で、目のことを考えてみませんか。当院では、斜視について のご相談を、時間をかけて丁寧にお聞きしています。
あなたが心の中で密かに抱えてきたその悩み、諦めなくていいかも知れません。
(目薬ひとみ)


